2016年11月26日土曜日

小津安二郎「秋刀魚の味」













古くて新しい
小津作品の真骨頂

 私にとって小津安二郎監督の映画はとても相性がいいようです。
 遺作となった「秋刀魚の味」(1962年)は妻を亡くした父が、よく出来た娘をお嫁に嫁がせるまでの日々を描いた映画です。極端に言えば、日常のありふれたやりとりだけを描いた映画ですが、まったく退屈に感じません。むしろ心地よい疲れさえ感じるのはなぜなのでしょうか……。 すでに50数年前の映画ですが、小津監督の映画を見ていると何気ないあたりまえのシーンにも大切な人生の側面が浮き彫りにされているような気がするのです。

 この映画で交わされる会話はほとんど他愛のない内容です。しかし、そこには家族間の言うに言えない奥ゆかしい感情が漂っていますし、人として生きることの辛さや切なさが暖かな眼差しとともに伝わってくるのです。
 小津監督の美学はこの映画でも冴えに冴え渡っています。たとえば、カメラのポジションを変えないでローアングルで撮り続けるのもその一つでしょう。その他、無駄な動きを極力取り除いたり、俳優の視線、セリフの口調、調度品の色調の統一を試みたのも徹底した演出のこだわりからくるものなのでしょう。

 動きが少なく、セリフは棒読みのようで、時に物足りなさを感じるほどなのですが、かえってそのことが見る者に多くのことを考えさせるゆとりを与えてくれるのです。このようなシーンの演出も小津監督が名匠と言われるゆえんなのかもしれません…。



気心を知り尽くした
俳優たちとの呼吸

 私はこの映画を見て、なんだかとても胸が締めつけられるような気がいたしました。
 特に印象的なのは娘(岩下志麻)を嫁がせる日の父親(笠置衆)の表情です。心にぽっかり穴が空いたような感覚が伝わってくるシーンですね……。娘の幸福を考えればうれしいはずなのに、それが素直に喜べない父親の戸惑いや寂しさ……、そのような複雑な心境が絶妙に描かれているのです。


 花嫁衣装を身に纏った娘が畳に手を突いて「今までいろいろとお世話に……」と言いかけた瞬間、父が「ああ わかってる わかってる しっかりおやり…幸せにな」と言葉をさえぎる場面があります。
 ぶっきらぼうな表現なのですが、おそらく父にとってこれ以上のはなむけの言葉はなかったのでしょう…。おそらく、「家族なんだからそんな堅苦しい挨拶はいいよ」とか、あるいは「娘を送り出すってこんなに寂しいものだったのか…」のような入り混じった思いが心の中で交錯していたのかもしれません。


 小津監督は俳優たちに常々、「余計な個性を出してほしくない」と伝えていたようですね。彼の映画の常連キャストだった原節子や笠置衆も納得がいくまで何度も撮り直させられたようです。 小津監督は笠置衆に「あんたの演技が見たいんじゃない。とにかく言われたとおりにやってくれ」と口を酸っぱくして言っていたようです。

 「だったら役者は誰でもいいんじゃないの?」と思われるかもしれません。
 でもそうではなかったのです……。小津監督が願ったのは演技をしなくても確かな存在感と気品をスクリーン上に漂わせる役者の存在だったのです。小津組と言われ、毎回同じ役者さんで撮影に臨むことが多かったのも、彼らに全幅の信頼を置いてのことだったのでしょう。


 平凡な日常に横たわる孤独と寂寥感。時には能楽や小気味よいリズムの演劇の舞台を見ているような錯覚にとらわれる小津監督の独特の映画の世界。それは日本的情緒と哀愁を絡ませつつ、日本の伝統美とモダンアートのような斬新な美を両側面で魅せてくれる唯一無二の世界なのかもしれません……。