2013年5月23日木曜日

ベートーヴェン  交響曲第3番変ホ長調『英雄』作品55











飛躍的な変化を遂げた交響曲

 ベートーヴェンは交響曲の作曲に並々ならぬ意欲と情熱を注いでいました。それは残された9曲の圧倒的な充実度からも充分にうかがえます! その傑作揃いの交響曲の大きな転機になったのは第2番なのですが、飛躍的な変化(革命的といっていいのかもしれません…)を遂げたのは間違いなく交響曲第3番「英雄」でしょう。これはベートーヴェンというだけでなく、西洋音楽の歴史から見ても決定的な足跡と存在感を示した音楽と言ってもいいと思います。
 何が飛躍的なのかと言えば…、それは主題の巨大な構造や疾風怒濤のような不屈のエネルギーがそれまでの一般的な音楽的常識を超えてしまったことでしょう! 特に第一楽章で次々と繰り出される主題は精神的な高揚感を伴いつつ、さまざまな形に変化しながら、かつてないドラマチックな世界を展開するのです。もはやメロディがどうだとか、音は綺麗に響くだろうかということは「英雄」では二の次三の次にさえなっているのです。ベートーヴェン自身にとって「英雄交響曲」は過去と決別し、新しい人生を出発する大転換の時だったのです。

 ここではハイドン、モーツァルトに代表される古典的様式の音楽的美感、バランスの良さといったさまざまな定義を完全に覆す自由な音楽が生み出されているのです。
 このことは曲の形式にも表われていて通常ならば第二楽章でアンダンテかアダージョにするところを異例の葬送行進曲を採用、第三楽章でもトリオあたりが妥当なところをスケルツォを採用するなど音楽のタブーを次々と破ったところがさすがベートーヴェン!というところでしょうか。「美しいためなら破り得ない法則は何一つない」といったベートーヴェンの信念がここでも生きてくるわけです。


ドラマチックでスケール雄大!交響曲の金字塔

 第一楽章で冒頭のトゥッティによる二度の強奏から英雄の出現を示すテーマが奏されると次第に勇壮な世界が浮かび上がってきます。このとき音楽は点ではなく線となってみるみるうちに巨大なエネルギーを放出していきます。ひとつひとつの和音がこんなに深い意味を持って語りかけてくることがあったでしょうか……。勇壮な響きとそれを打ち消すような激しい心の葛藤が幾度も現れドラマチックな展開が続きますが、緊張の糸はまったく緩むことなく終結部を迎えます。聴けば聴くほどに構成の見事さに驚き、それぞれの主題の有機的なつながりの素晴らしさにため息が出るばかりです!

 第二楽章に葬送行進曲を置いたのはベートーヴェンにとっても大きな挑戦だったことでしょう。一般的には葬送曲によって感傷的になったり、曲のイメージや流れを損なってしまうのでしょうが、ベートーヴェンの場合は音楽に真摯な祈りがあり展開の必然性があるためにまったく違和感がありません! こんなに崇高で深い慟哭に満ちた趣きの音楽を作ることはベートーヴェン以外はかなり困難なのではないでしょうか……。チェロやコントラバスの多用、フーガの挿入、前衛的な不協和音の多用など、これまでの音楽的常識を打ち破る規格外の音楽を作ったのです。後の作品、ミサ・ソレムニスのミゼレーレを彷彿とさせるような心に染みいる深い哀しみが印象的です。

 第三楽章スケルツォは重厚な葬送行進曲の後だけに弾むようなリズムと晴朗な響きがとても心地よいですね!まるで「天馬空を行く」かのような奥行きがあって引き締まった楽想が心のウヤムヤをすべて消し去るかのようです。

 第四楽章の変奏曲も音楽の常識からいって交響曲に採用されることは例がなく、しかもフィナーレに置かれるのは当然この作品が初めてです。テーマは自身が作曲した「プロメテウスの創造物」から引用されているのですが、それだけに変奏曲をフィナーレに置いたのは深い意味があっての事というのは当然でしょう。このフィナーレにはもはや迷いがありません。試練を克服した喜びと深い魂の安らぎを心ゆくまで謳歌するもので、太陽の光のように放出される音楽のパワーは輝かしく比類がありません!


貴重なカール・シューリヒトの演奏会録音

 演奏のほうに目を向けると、名作だけあってCDには事欠きません。ただし、いい演奏は大体がモノーラルからステレオ初期に偏っており、もっともっと現役の指揮者にも頑張ってほしいな……というのが率直な印象です。(こういう作品でいい演奏が出てこないとクラシック音楽界も盛り上がらないと思うのですが…)
 演奏のみを考慮すれば、昔から名盤の誉れ高いフルトヴェングラー指揮ウイーンフィルのスタジオ録音(1952年、EMI)がやはりナンバーワンでしょう。とにかく響きが深いし、壮大なスケールや曲のメリハリ、自然な息づかい、楽器の存在感等どれをとっても「英雄交響曲」の求めているイメージにぴったりという感じです! ひとつだけ残念なのはモノーラルのために響きが浅くなって聴こえるところが多々あることでしょうか。

 1963年のライブ録音ですが、カール・シューリヒトがフランス国立放送管弦楽団を指揮した演奏(Altus)もフルトヴェングラーに勝るとも劣らないような素晴らしい名演奏を成し遂げています。特に録音が素晴らしいですね! 1963年のライブというと誰もが音質には期待しないと思うのですが、この録音は破格の素晴らしさです! しかもステレオ録音! 音も生々しくまるで会場で聴いているかのような錯覚にとらわれます。そして何と言ってもシューリヒトの解釈が素晴らしいですね。
 
 即興演奏で力を発揮するシューリヒトの面目躍如といったところです。鋼のような強靱な響きとストレートな進行に見せる味わい深さ!フルトヴェングラーのような重厚な響きこそありませんが、ベートーヴェンそのものという意味深い響きが続出し曲を堪能させてくれます。シューリヒトがステレオで「英雄」を残してくれたことと、当日の演奏を素晴らしい音質で残してくれた録音スタッフの功績に、ただただ感謝の言葉以外ありません……。