2017年8月22日火曜日

久々に聴いたヘンデルの「ユダス・マカベウス」









ヌリア・リアルの
「イスラエル女性」

先日、久々にヘンデルのオラトリオCDを聴いてみましたので、ちょっとだけ感想をお伝えしたいと思います。ハルモニアムンディから発売されたロルフ・ベック指揮、エルビポリス・バロックオーケストラ・ハンブルク他の「ユダス・マカベウス」がそれです。
このオラトリオは名曲なのですが、サウルやソロモンあたりに比べると明らかに録音が少なく残念に思っていただけに、ヘンデルをこよなく愛する私としては少々嬉しくなったのでした……。

このCDの売りの一つは何と言ってもバロックオペラやヘンデル、ハイドンのアリアCDで現在注目を集めているソプラノのヌリア・リアルでしょう。美しく透き通る声だけではなく、陰影に満ちた表情や気品溢れる表現が女性ならではの発声の美しさとあいまって至福の時を約束してくれるのです。

したがって、期待に胸が高まりながら聴いたのは勿論のことなのですが、ロルフ・ベック指揮する序曲のふんわり(?)した軽い出だしから「あれっ!」と肩透かしを食ってしまいます。

これは古楽器が市民権を得た1980年代の演奏スタイルそのものではないか……、そう思ったのでした。しかし、それ以降はオケが、特にトランペットやティンパニが往年のしっかり、がっちり型の演奏形式に豹変し、ますます戸惑ってしまうのです!? でも演奏そのものは深さがあり、ドラマがあって、なかなか聴き応えがありました。

特にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭合唱団のコーラスは優秀で、全体的にゆっくりめのテンポから美しいハーモニーを繰り広げていきます。



やはり難しい
ヘンデルのオラトリオ演奏

そして注目のイスラエルの女性役で出ているヌリア・リアルですが、これが本当に美しい!繊細でウエット感のある優しげな声で歌われると堪りません……!
過去これだけ美しく、魅惑に満ちた歌を披露してくれた「イスラエル女性」があったでしょうか……。非の打ち所がないというのはこのことを言うのでしょう。

カークビー、アージェンタあたりと比べてもまったく遜色ないのですが、もし難点をあげるとしたらイスラエル女性役としては綺麗すぎることと、やや線が細いかな…ということ位でしょうね。もちろんそれは贅沢な望みなのでしょうが。

ただしこのCDには問題があります。曲をずっと聴き進めていくのですが、どうも退屈なのです…。しかも全体的に重苦しいし、愉しくありません…。おそらくベックの指揮する演奏スタイルが伸び伸びと音を開放していくスタイルではなく、意外に細かな表情をつけて締めつけてしまうスタイルが影響しているのではないかと思うのです。

この演奏を聴いて思い出したのがレオナルド・ガルシア・アラルコン指揮ナミュール室内合唱団およびレザグレマンのCDです。あの時聴いた「ユダスマカベウス」のストレートで求心力のある響き!新鮮で味わい深い表現!まったく感動に満ちた至福の時でした。しかし、このCDには何故かそれがありません…。

男性のソリストたちの声も指揮者の要求なのか、発声の癖なのかわかりませんが、どうも力んで歌っているように思えて仕方ありません。そのことがこのオラトリオ全体の求心力、格調を下げてしまうのではないかと感じるのです。

改めてヘンデルの作品は簡単ではない……。演奏するには作品への愛情が必要だけれども、それ以上に高いレベルで本質をしっかりとつかんでいなければならないと痛感させられたのでした。

最後に少し口直しと言うことで、ヌリア・リアルのお勧めCDを挙げておきます。



2017年8月9日水曜日

ビル・エヴァンス 「alone」











平凡な時間の流れを
彩り豊かな時間に
変えてくれるアルバム


ビル・エヴァンスは20世紀後半のジャズシーンを彩る稀代の名ピアニストですが、「alone」は彼のピアニスティックな特徴が縦横無尽に発揮されたソロアルバムです。

デリカシー豊かで生き生きとしたピアノのタッチ、遊び心満点のアレンジと自然にほとばしる音楽の熱量、クラシカルな音楽要素をセンス満点に採り入れたバランス感覚……。誰に媚びるわけでもなく、心から音楽を愛し、楽しんで弾いている様子がひしひしと伝わってくるのです。おそらくこれはビルのベストパフォーマンスと言っていいのではないでしょうか……。

このアルバムはコアなジャズファンには何故か不評です。それは「真正なジャズらしくない」というのが理由なようです。でも、私は音楽的に大変優れたアルバムだと思いますね。

私はこのアルバムのノンジャンルとも言えそうなBGM的な親しみやすさと魅力は他のどんなジャンルのアルバムを持ってきたとしても敵わないし、追随を許さないものだと思うのです。

つまり、日常のどのようなシーンにも自然と馴染み、平凡な時間の流れを彩り豊かな時間に変えてくれる音楽としての魅力が光っているのです。

おそらく公園の木陰やカフェ、リビングルーム、博物館、寝室……、たとえどこで鳴っていようともここに収録された音楽は新たな発見と癒やしを与えてくれるに違いありません。

2017年7月27日木曜日

ジェシー・ネルソン I am Sam











「障害」というハンディが
背負う十字架

一人の人間が身体的、あるいは精神的に「障害」というハンディを背負うということはどういうことなのでしょうか?

ハンディがあるということは、当然生きる上で様々な壁が立ちはだかります。
通勤・通学、人とのコミュニケーションをとること、教育を受けること、就労や様々な手続きであったり……、影響は多方面に及びます。

それだけでなく、気持ちを伝えたくても伝わらない疎外感や周囲の人々の偏見の目や心ない言葉がもたらす心の傷……。それはおそらく健常者が考える想像をはるかに超えているのではないでしょうか?

周囲の温かな眼差しや気遣いがあってこそ、当事者の道が切り開かれていくのはもちろんなのでしょうけど……。それよりも大切なのは一人の人間として一切の偏見や変な同情心を捨てて心を開くことでしょうし、また、心の支えになっていく以外にないのかもしれません。

映画「I am Sam」の主人公サムも鑑定によると「精神年齢七歳」の知能の持ち主だったのでした。しかし、映画の中で知的障害者という特別な響きからくる重苦しさや哀しさは感じません。
なぜなら、同じアパートの住人でサムの娘の面倒をよく見てくれるアニーの存在や同じ知的障害を持つ仲間たちとの交流がサムにとっては何よりも心の拠り所であり、癒やしとして描かれているからなのです。

彼らはちょっと摩訶不思議なコミュニケーションを交わすのですが、まるで自分のことのように相手の気持ちを汲んだり、お互いを認め合っているのです。映画ではこのやりとりが丁寧に、そしてユーモラスに描かれています! それが何やら微笑ましく、見ているほうも次第に素直な気持ちになっていくのです。


一人娘ルーシーに注がれる
ピュアな愛情

この映画で最も美しい場面はサムが一人娘ルーシーに注ぐまっすぐな愛情でしょう。
言葉足らずでぶっきらぼうなのですが、サムが語りかける言葉や想いはルーシーにとってピュアな愛そのものだったのでした。 ルーシーもそのことを実感していたのでしょう。

ある日、「お父さんは普通のお父さんとなぜ違うの…」と素直に問いかけます。それに対してサムが「こんなお父さんでごめんよ」とすまなさそうに答えます。 見ていて何とも胸が詰まる場面ですね……。このとき、幼な子の心に初めて知的障害という概念を明確に認識した瞬間だったのでした。

一方でサムの人生は波乱の連続です。オープニングで妻のレベッカが産まれたばかりのルーシーを置き去りにして失踪したり、最愛の娘ルーシーの誕生日に近所の子を押し倒したことが発端で誤認逮捕されたり、それを契機にサムの人生の歯車が少しずつ狂いはじめます。

そして遂には親としての資格や養育能力がないという理由で、司法の力でルーシーとの親子の絆さえも引き裂かれてしまうことになります。それならば親として誰が本当にふさわしいのか?という、いつの時代においても難しい究極の質問が見る者に突きつけられるのです。それにしても検事や弁護士たちの答弁や質問が、あまりにも健常者の視点でしか物事を見ようとしないことに愕然とするではありませんか……。

それは、ルーシーを取り戻すために立ち上がってくれた女性弁護士のミシェル・ファイファーや里親としてルーシーを預かることになったローラ・ダーンも同じで、最初は「知的障害者」という色眼鏡で見たのでした。

しかし、サムと一人の人間として向き合う中で、結局人を引きつけるものは世間体や処世術ではなく、人間としての素直さやピュアな感情や無償の愛でしかないことに気づくことになるのです……。

小気味よいテンポとウイットに富んだユーモアが秀逸ですし、ショーン・ペンを始めとする出演者たちの見事な演技にも魅了されます。また動きがあり、時折アップの表情をとらえるカメラワークも最高で、終始見る者を惹きつけてやみません。ともすればお涙頂戴になったり、暗くなりがちなテーマですが、ウイットに富んだユーモアと奇をてらわない演出がさわやかな感動を呼びます。

2017年7月10日月曜日

ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ニ短調作品15






















「血湧き肉躍る!」
若い情熱が爆発する作品

「血湧き肉躍る」という言葉があります。これは全身に活力がみなぎる時とか、試合に際して震えるような興奮を覚える時に使ったりしますが、ブラームスのピアノ協奏曲第1番ほど、この言葉を実感させる作品はありません。

この作品、とにかく音の厚みと湧き上がる情熱が凄く、内容的にはピアノを主役に据えたシンフォニーといってもいいほどで、ブラームスの持ち味が強く出た作品となっているのです……。嵐のように開始される第1楽章冒頭のティンパニの轟きから、その気迫に圧倒されます。続く悲しげな表情を湛えた第2主題も印象的な部分で、曲は様々な変化や発展を増し加えながらドラマチックに、ある時は詩情豊かに展開していきます。

第2楽章の叙情的で深い瞑想を想わせる第1主題は音楽詩人ブラームスの面目躍如と言っても過言ではありません。中間部のピアノのカデンツァは敬愛していたシューマンの夢幻的な響きを随所に感じさせるのですが、全体として音楽はブラームス流のしっとりとした味わいに満ちているのです。


演奏がツボにはまると
恐ろしいほどの感動を受ける

第3楽章フィナーレは、口ずさめるような第1主題がピアノによって奏されると、俄然音楽の見通しが良くなり、荒ぶる魂が全開のまま一気に突き進んでいきます。 ピアノとオケの絡みも絶妙で、充実した中間部から怒濤の勢いで輝かしいフィナーレを迎えるあたりはこの曲の最大の聴きどころでしょう!

後年の第2番に比べると、作品としての完成度は一歩も二歩も譲るかもしれません。しかし、若書きの作品であるにせよ、この曲は全体的にエネルギーやパワーに満ちあふれており、聴いていてワクワクドキドキする瞬間が多いのも確かです。協奏曲にありがちな、奇をてらうとか、これ見よがしの外面的な演出効果ではなく、「内なる声の叫び」であることが魂のカタルシスをもたらすのです!

また、ピアノ協奏曲第2番が熟成した作品であるため、誰がピアノを弾き、指揮したとしてもある程度の演奏になるのに比べると第1番は決してそうはいきません。1番はピアニスト、指揮者、オーケストラの楽員共々、作品に対する相当な思い入れや愛情がないと薄っぺらな音楽になってしまったり、音楽そのものが崩壊してしまう恐れを多分に含んでいるのです。ある意味怖い作品ですが、それだけに演奏がツボにはまると、恐ろしいほどの感動を受けたりもするのです!


指揮者主導のザンデルリンク盤と
ピアニスト主導のルービンシュタイン盤

演奏でまずおすすめしたいのが、エレーヌ・グリモー(ピアノ)、クルト・ザンデルリンク指揮シュタッカーペレ・ベルリン(エラート)です。何といってもザンデルリンクの指揮の凄さに脱帽です! 懐の深さ、有機的なオケの響き、壮大なスケール……。どれをとってもこれまで聴いたことがない世界が現れているではありませんか! 
ゆったりとしたテンポで噛みしめるように進めるのですが、退屈になることが一切ありません。これはもう、曲の本質をがっちり掴み、さまざまな音楽的ニュアンスを引き出した指揮者に大拍手するしかないでしょう。ピアノのグリモーもザンデルリンクの音楽に刺激されたのか、なりふり構わぬ遅めのテンポと強めのタッチで内容豊かな音楽を展開しているのには驚きです。

ここでのルービンシュタインのピアノは快調そのものです!もはやここまでくると遊びの境地……、融通無碍の世界と言ってもいいでしょう!ピアノから繰り出される一音一音に深い味わいとルービンシュタインの個性が光っています。そこには容易に真似の出来ない即興的な面白さや格調高い芸術的な響きが同居しているのです。
メータの指揮はルービンシュタインの波動に引き込まれるように大きな音楽を生みだし、オケから終始有機的な響きを引き出していて、ピアニスト共々、最後まで息の抜けない演奏を繰り広げていきます。

2017年7月5日水曜日

国立新美術館開館10周年 ジャコメッティ展





アルベルト・ジャコメッティ(ヴェネツィアの女Ⅰ)1956年、ブロンズ
マルグリット&エメ・マーグ財団美術館、サン=ポール・ド・ヴァンス
©Archives Fondation Maeght, Saint-Paul de Vence (France)





ミニマムで美しく
神秘的な作品

20世紀を代表する彫刻家としてアルベール・ジャコメッティの名前をあげる人はとても多いでしょう。彼の創作スタイルはキュービズム、シュールレアリズム等々に影響を受け、当時の前衛スタイルを体現するかのごとく、様々な作品を生み出したのでした。

しかし、ジャコメッティの本領が全開したのは、第二次大戦後にシュールレアリズムを捨てて、余分な虚飾を剥ぎ取ったといわれる細長い人体像の数々でしょう。ここには彼が理想とする美意識やポリシーが最大限に表現されているのです。一見すると不思議で個性的な作風ですが、ミニマムで美しく神秘的な作品は今なお多くの人の心を掴んでやまないのです。

11年ぶりに日本で開催されているジャコメッティの回顧展は大きな話題と反響を呼んでおり、初めてご覧になられる方も一度その作品を目にされれば、これまでにない感動と体験を味わうことが出来るのではないでしょうか……。




「国立新美術館開館10周年 ジャコメッティ展」

会期         2017年6月14日(水)から9月4日(月)
会場         国立新美術館 企画展示室 1E
住所         東京都港区六本木7-22-2
開館時間   10:00~18:00(金、土曜日は20:00まで)
休館日      毎週火曜日
料金         一般 1,600円(1,400)、1,200円(1,000)、800円(600)
※()内は団体、前売り料金。
※中学生以下無料。
※障害者手帳をご持参者(付添い1名含む)無料

チケット:国立新美術館、展覧会ホームページ、イープラス、セブンチケット、チケットぴあ、ローソンチケットほか主要プレイガイド
※プレイガイドによって手数料がかかる場合あり。

巡回先     愛知県・豊田市美術館(10月14日(土)~12月24日(日)


【問い合わせ先】
ハローダイヤル 
TEL  03-5777-8600

2017年6月28日水曜日

J.S.バッハ ミサ曲 ロ短調(BWV 232)

















ライフワークのように、
数十年もの歳月をかけて作曲された名曲

音楽の形式や言葉は明らかにカトリックのミサなのに内容的、精神的にはコラールを中心にしたカンタータやモテットに近いという何とも厄介(?)な作品がバッハのミサ曲ロ短調です。

この作品はバッハがライフワークのように、数十年もの年月をかけて段階的に作曲した作品でした。

「神に栄光を帰す」を生涯のテーマに掲げて創作に取り組んできたバッハにとって、これは作品の成立した背景や内容においてもその結論と考えてもよろしいでしょう。

輝かしさ、敬虔さ、宗教的情感、声楽作品としての芸術性の高さ、どれをとっても非の打ちどころのない作品ですね。特に傑出しているのは、全体の半分以上の割合を占める合唱でしょう。

それぞれの合唱は独立した声楽作品というよりは、キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥスというミサ曲の括りの中で有機的な関係性を持った神へのメッセージでもあるのです。

ですから、この作品をお聴きになる場合は選んで聴くよりは、通して聴いていただいたほうが(またはキリエ、グロリア、クレド…と、括りで聴いていただくのも良いかと…)はるかにバッハが何を言いたかったのかが直接的に伝わってくるはずです。



プロテスタントと
カトリックの壁を
超えたミサ曲

キリエの合唱で、冒頭から形を変えて何度も繰り返される「主よ我を憐れみたまえ」のフレーズは通常ですと単調になりやすい構成です。しかしバッハの手にかかると、打ちひしがれた魂が次第に音楽としても言葉としても高揚し、敬虔な響きとなり、遂には神に許しを請う強い実感を伴った響きとなって伝わってきます。グロリアやクレドの壮麗さは音による輝かしさではなく、愛と信頼による心の調和や平安を願うバッハの心意気が作品として強く息づいており、曲が進むにつれて胸が熱くなってきます。

また、グロリアの中間部と全体の最後に挿入される「Qui tollis peccata mundi」と「Dona nobis pacem」は歌詞こそ違えど、まったく同じ旋律のコラール(ルター派をはじめとするドイツ・プロテスタント教会の礼拝等で歌われた賛美歌)で、この作品の大きなアクセントになっています。同じコラールのはずなのですが、どういうわけか違うナンバーに聞こえてしまうのは、やはりバッハの曲中の扱い方や巧みな構成力の成せるわざなのでしょうか……。

この作品が出来上がった背景には諸説ありますが、私が思うにはバッハが誕生する数十年前、ドイツでは30年戦争(1618年~1648年にかけて、ドイツやヨーロッパ諸国を中心にプロテスタントとカトリックの間で起きた歴史上最大の宗教戦争)の開戦中でした。おそらく、大多数の国民は終わりなき戦いに辟易し、疲弊していたことでしょう。

前述のように「神に栄光を帰す」というポリシーで作曲してきたバッハにとって、そのような世の不条理と同じ神を信じる者の醜い争いには到底我慢できるはずがなく、その強い想いがプロテスタントとカトリックの壁を超えたミサ曲として結実させた一因になったのではないでしょうか……。



バラエティに富んだ
様々な名盤

ミサ曲ロ短調は録音が非常に多く、演奏形態もモダン楽器やオリジナル楽器の演奏の他、合唱のパートも大人数、少人数の演奏と多種多彩で、様々な名演奏を聴くことが出来ます! 「ミサ曲ロ短調」は作品の内容、スタイルからしてもマタイ受難曲やヨハネ受難曲のようなドラマチックで情緒豊かな演奏向きとは違い、無駄な表情や過剰な思い入れはできるだけ排除したシンプルなスタイルが好ましいように思われます!

中でも最も心惹かれるのが、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(SDG)です。2015年のライブ録音ですが、とにかく合唱の精度の高さは半端ではありません。特にグロリアやサンクトゥス等では主題というより、ともすればサッと流してしまいかねない中間部や経過句といったつなぎの部分のうまさが際立っています!
ソリストたちの歌も大袈裟な表現になるのを極力抑え、それぞれ透明感を湛えつつ、心地よいバランスと表情を保っているのがいいですね。
全体的に極めて音楽性が高く、流れを損なうことなく一気に聴かせてしまう表現力はさすがです。しかも、しっかりと本質を突いており、先入観なしでミサ曲ロ短調を聴いても充分に美しく、聴く喜びを与えてくれる演奏でしょう。

トーマス・ヘンゲルブロック指揮バルタザール=ノイマン合唱団、バッハフライブルク・バロック・オーケストラ(ドイツハルモニアムンディ)もオリジナル楽器の演奏ですが、合唱も管弦楽もまったくわざとらしさがなく、自然な発声と情感溢れる表現が素直に心に響いてきます。恐らくミサ曲ロ短調で、これほど心の通った合唱のハーモニーを聴くのは初めてのことではないでしょうか……。ヘンゲルブロックのタクトも奇をてらわず、見事としか言えません!









2017年6月19日月曜日

シューマン 交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(2)













重厚なロマンの香りと
勇壮な迫力!

ロマン派の大作曲家シューマン。そのシューマンが重厚なロマンの香りを最大限に発揮した交響曲が第3番「ライン」でしょう。

まず驚くのが、何かが吹っ切れたかのように、迷うことなく勇壮に前進する第1楽章の迫力です。何というインパクトと情熱でしょうか!序奏なしで、いきなり開始される堂々とした第1楽章の第1主題からこの曲に惹きつけられてしまいます……。しかもその曲調はシューマンらしい歌にあふれ、美しいロマンチシズムを醸し出していて、片時も聴く者を退屈にさせません。

人によっては重苦しい作品だと評価する方もいらっしゃいますが、私は決してそうは思いません。
むしろシューマンは「ライン」を作曲した時、よほど調子が良かったのではないでしょうか……。印象的な第1主題、第2主題をはじめ、訴える力、発展する要素、高まる情感、すべてにおいて渾然一体となった魅力が充満しているのです!

第2楽章は同じ音型を小刻みに繰り返す主題がゆるやかなラインの流れを想起させます。ここでも第1楽章同様に随所に奏でられるホルンの響きが心のゆとりと風格を伝えてやみません。中間部の管楽器が奏でる淡く悲しい憂いの表情も後ろ髪を引かれるように過ぎ去っていきます……。

第3楽章はもっともシューマンらしいメロディが頻出します。夢と現実を交差するようなロマンチシズムの極みは何とも言えない情感を拡げていきます。
ケルンの大聖堂から着想を得たといわれる第4楽章は厳粛で崇高な響きが鎮魂曲や祈りにも似た全曲のクライマックスと言えるかもしれません。フィナーレの颯爽とした展開や充実した展開部、怒濤の迫力を醸し出す終結部分も見事です。



チェリビダッケと
ジュリーニの名演奏

真っ先におすすめしたい演奏はセルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィル(EMI)の演奏です。「ライン」はロマン的情緒あふれる作品だけに、どちらかというと、いわゆる巨匠風の武骨な表現が相容れない作品でもありました。しかし、この演奏は違います。相変わらずのゆったりとしたテンポなのですが、深い呼吸と細部の彫琢があまりにも見事なためスローテンポが気にならなくなってしまうのです。 演奏の素晴らしさがスタイル云々の問題を超えた数少ない例のひとつではないでしょうか!

雄渾な迫力と持続する集中力も圧倒的で、シューマンの心の動きさえ伝わってくるようです。何度聴いても飽きず、おそらく「ライン」からこれほど深い意味を表出した演奏はなかったのではないかと思います。

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロサンゼルスフィル(ユニバーサル・ミュージック)は万人向けの名演です。旋律は良く歌われ、メリハリが効き、この曲からイメージされるロマン的な特徴をことごとく兼ねそろえた理想的な表現といっていいでしょう。演奏スタイルにしても、テンポや楽器のバランスが絶妙で、管弦楽の立体的な構築や密度の濃さにも特筆すべきものがあります。作品との相性の良さが、これほどまでの名演奏を可能にしたのかもしれません。